片隅でひっそりと

~共働き家庭の 仕事・家事・育児~

目標の資産額を達成。でも引退はしない。

少し前に、お金関係の記事を削除しました。

金額を赤裸々に書いて晒すのは不用心かな…と思って。

 

過去の記事で、「自己資産が●●万になったら、仕事を辞める!」と宣言していましたが、今、投資信託も株式も絶好調で、さらに4年前に保険に預けた私の老後資金が円安の影響で1.5倍になり解約&預け替えしました。

 

そんなこんなで、目標達成しました。

投資信託も株も保険も売却・解約してはおらず、それらを含めた暫定金額での達成ですが。

 

 

目標達成はしましたが…仕事を辞めるのは、やめました。

 

すでに年金生活に突入している母親世代のさまざまな先輩たちの姿を見て、「年金だけで十分暮らしていけるけれど、楽しみ・息抜きのために仕事をして副収入がある」という生活をしている人が、一番楽しそうに暮らしています。

 

若い時は「仕事さえなければ、のほほんと楽しく暮らせる」「引退したら楽になる」と思っていたけど、違っていたなぁと。

 

なるべく長い年月、細々でもいいから、楽しく仕事をして暮らしたい。

 

年長さん:3回目の雪山で、はじめてスキーに挑戦!

今年も、家族でスキー旅行に行きました。

今年で3回目。

とはいっても、年少さんで初めていったときには、雪遊びがメインでソリ遊びを少しした程度。

年中さんではお友だち家族と一緒に行ったので、1日ずっとソリ遊び。

 

1回目の時からぐり君は「すきー、やりたい」といっていたけれど「まだ早いんじゃない!?」と、親が及び腰に…。

年少さんで、親と長い時間離れてレッスンを受けるのは無理だと思って。

 

年長さんになり、今年ようやくスキーデビューしました。

 

旦那さんは滑れるけれど、「親に教えてもらうと甘えが出るから、プロに頼んだ方がいいと思う」というので、スキー教室に行かせました。

午前中2時間、午後2時間の、あわせて4時間レッスン。

 

4時間も親と離れ離れで大丈夫かな~と心配でした。

泣いちゃったりしないかな。途中で怖くて滑り降りれなくなったりしないかな、と。

 

…まったくの杞憂でした。

 

午前中は、コーチにアドバイスをもらいながらゆっくり斜面を滑り降りてきていましたが、午後にはもうスイスイと滑れるように。

初心者コースとはいえ、かなりの距離&斜面をストックなしで自分でスピード制御をしながら滑り降りてくるのを見たときは感動しました。

 

同じくスキー初体験の私が、旦那さんに教えてもらいながら斜面で何度も転んでなんとか1回滑り降りる間に、ぐり君はコーチと共に少なくとも3回は横を滑り降りていきました…。私に「ぱっぱ~、がんばって~!」の声援を送りながら…。

 

 

旦那さんは子どものころに我流で滑り方を覚えたので、滑れるようになるまでかなり時間がかかったそうです。

「コーチに習えば1日で滑れるようになるなんて!」と驚いていました。

 

私も地道に練習を頑張っていましたが、スピード出てしまうとなかなか止まれず危なっかしい感じなので、来年は私もコーチについてもらおうかなと思っています。

 

私は嫌々参加したスキーでしたが、すごく楽しかったです。

スキーの楽しさが分かったので、旦那さんが「友達とスキーに行ってくる」といっても、快く送り出せる心持になりました。

 

節分と春雷

昨年はうっかりして豆まきをせずに2月3日が過ぎてしまいました。

今年は忘れないで、3人で豆まきを楽しみました。

 

保育園では、年齢にあわせて鬼のお面づくりをしています。

年齢とともに、難易度も上がっていきます。

年少さんは、先生が鬼の顔の形に切った画用紙に、自分で目鼻を描いたり色を塗ります。

年中さんは、画用紙に自分で鬼の顔を描き、輪郭にそって切り取ります。

年長さんは、紙袋に、目の位置に穴をあけてカラーセロファンを貼り、顔を描き、トイレットペーパーの角と毛糸の髪をつけて出来上がり。新聞紙を筒状に丸めてこん棒も作っていました。

 

保育園の節分は、年長さんにとっては一大イベント。

鬼の仮面をかぶり、こん棒を持って小さいクラスに出向くのです。

それぞれにセリフもあって、

ぐり君のセリフは「わすれものをするこはいないかー!」だと教えてくれました。

そして、小さい子たちに新聞紙で作った豆(玉)をぶつけられて退散…。

小さいクラスでは、鬼を見て泣く子も続出。

しかし、そんな体験をしつつも、鬼役ができる年長さんになるのを、みな心待ちにしている。

 

そして、鬼役をやって自分のクラスに戻ったあとは、今度は「先生鬼」との対峙です。

テーブルを倒してバリケードを作り、身を潜めながら鬼に扮した先生とのバトル。

今年も白熱したようです。

 

 

2月2日が金曜だったので、お面と棍棒を忘れずに持ち帰り、翌日に家で豆まきをしました。

豆をそのまま投げてしまうと後片付けが大変なので、一握りの豆をラップで包んで巾着にして、それを投げました。

大きいので、豆まきが終わったあとの回収も楽です。

 

3人とも順番に鬼役をやり、豆まきを堪能しました。

 

 

小さなころ、節分の後には「その年のはじめての雷が鳴った、年の数だけ豆を食べる」と教えられました。

我が家だけのローカルルールかもしれませんが…年の数の豆を、一度で掴まなくてはならないのです。

掴んでは数え、数が合わなければまた豆を戻して再チャレンジ。

年齢があがればあがるほど難しくなります。

小さい頃は、春雷を見ながらみんなで豆を掴み、ポリポリ食べるのが楽しかった。

 

 

さて。

今年は豆まきをしたし、春の雷の時に豆を食べるのを忘れないようにしないと、と思っていたのですが。

なんと、豆まきをした翌々日。

大雪が降る中で、雷が鳴りました!

お風呂から上がったあと、「大変だ!今年はもう雷が鳴った!」といいながら、3人で豆をポリポリ。

ぐり君は年の数だけ。大人は数は省略で。

旦那さんは、「雷が鳴ったら節分の豆を食べるなんて、初めて聞いた」といってました。

そうね。義母はそういうの嫌いだしね。

伝統は意図して継承しておかないと、たったの一代で生活の中から消えてしまうんだなーと。

5月の菖蒲湯も、冬至のかぼちゃの煮物も、面倒くさがらずにやろうかな…と思った日でした。

 

小学校の越境が決まる

今通っている保育園は、家から10分ほどの距離です。

その左隣には小学校。前には中学校があります。

保育園の目と鼻の先に小学校・中学校があるため、登園ルートと通学ルートがかぶっています。

ぐり君も「しょうがっこうにいったら、りつくん(昨年同じクラスだった1学年上のお兄さん)とあそびたい」「ちゅうがっこうにいったら、ばすけっとやりたい」と、中学校を横目に将来の話をしたりします。

 

しかし…うちの地域の学区小学校は、保育園とは真逆の方向にあり、大人の足でも徒歩20分ほどかかります。

通学路の途中には、旧街道もあり車の往来が激しい。さらに、通学路にはなっていないけれど、小学校から家まで川沿いの遊歩道が続いており、夏には子どもたちが川で水遊びを良くしています。

遠い上に、登下校中の事故が心配!

年少さんになったころから、夫婦で「小学校は越境させて、家に近い小学校に通わせよう」と話し合ってきました。

 

1階に住むのんちゃんママに、小学校はどうするか尋ねたところ、迷っていました。

のんちゃんは、学区域小学校の横にある幼稚園に通っています。

そのため、お友だちはそちらの小学校に通う子ばかり。

幼稚園への登園は遠くても自転車の送り迎えでカバーできていたけれど、これからは子どもの足でその距離を歩いていかねばなりません。

 

うちが越境で通いたいと思っている小学校は、開校うん十年という伝統があり(古い)、現在は各学年2クラスしかない少人数のこじんまりとした学校。

しかし、本来の学区域の小学校は、新しい校舎で、今どきの開放的な作りで、温水プールまであります。心惹かれるものはありましたが、マンモス校であること、そのため学童が厳しい状況であることを役所で事前に聞き及んでいたので、うちは最終的には越境の申請をしました。

ぐり君の性格的にも、同学年がたくさんいるマンモス校より、こじんまりしていて全員顔見知りになれる学校の方が向いているんじゃないかな、と思って。

 

先日、役所から、越境の申請が通ったと連絡が来ました。

ほっと一安心。

のんちゃんは、のんちゃん自身の「ようちえんのおともだちと おなじしょうがっこうにかよいたい」という希望で、学区の小学校に進むことにしたそうです。

のんちゃんと一緒に学校に通えないのはちょっと残念ですが、仕方なし。

 

あとは、学童が第一希望のところに決まってくれたらいいのだけど。

 

義実家への年末の帰省、その後

12月初旬に義父からかかってきた

「年末は早く帰ってきて、掃除を手伝えや」という要請の電話に対し、

いかないよ。こっちだって、年末は仕事も忙しいんだ」と返してくれた旦那さん。

今年もこの時期がやってきた。年末の帰省問題。 - 片隅でひっそりと

続きです。

 

 

よくいってくれた!と、私は内心で拍手喝采

 

でも電話を切った後に、旦那さんが私に

「予定を前倒しして、2日泊まった方がいいのかな~…?」というので、

「いかないよ。おかあさん(義母)がいない義実家には1日しか泊まらない。前に2人でそう決めたじゃない」と、即拒否。

 

年末は28日(木)まで仕事だったので、29日は大掃除をほんの少しだけして、30日の朝に出発して義実家に帰省しました。

 

義実家に行ってみると、恐れていた状態ではなく、それなり片付き、掃除がされていました。

が、インコが室内で放し飼いになっているので…汚れはまあそれなりに…。

旦那さんが義実家に着いてすぐにリビングの床を水拭きし始めたので、旦那さんのお手伝いでワックスがけをしました。

 

ピカピカになった床を見て、「ワックスがけすると違うね」と2人で達成感に浸っていた際に、ふと自分の家の不満足な大掃除の状況を思い出しました。

「そういえば、今年、うちのリビングの床は拭き掃除していないね。帰ったら、うちも床拭いてワックスがけしたいね。よろしくね?」というと

「え~。いいよ。うちはキレイだから」といって逃げる旦那さん。

 

その後も、2人で庭の柚子を残らず収穫したり、枝の剪定をしたりしました。

 

お茶休憩をしたのちに旦那さんが葡萄棚の修理をしていた間、私はキッチンで洗い物をしていました。

すると義父が来て、「そのスポンジ、かわいいでしょう。しいのきさんが来るから、買っておいたんだ」と。

「可愛いな、と思っていました~」と愛想よく返しましたが、なんかモヤモヤ。

滞在中は台所仕事は全部私の担当、といわれたように感じてしまって、素直に好意を受け取れませんでした。

 

 

5月の帰省時、義実家滞在中の食事の用意に関して、モヤモヤした話を書きました。

義実家で、あるじ(義母)不在のキッチンで料理を作るはめに - 片隅でひっそりと

 

夏の帰省が近づいてきた際に義父に言われたことを思い出し、「義実家に行くのが憂鬱…」と、会社の同僚に愚痴りました。

同僚と話をしながら「あ、これは同僚に愚痴ってないで、旦那さんにきちんと伝えるべきだ」と思い、その日のうちに旦那さんに「おかさん(義母)がいない義実家で、食事の用意はしたくない。」とはっきりと告げました。

「なぜ私が義実家の主婦の役目をやらなければいかないのか。食事の用意は旦那さんがしてほしい。そのお手伝いなら私もやる」と。

旦那さんは「ん~でもさ…お父さんに、しいのきさんは家に遊びに来ても何もやらないと思われてしまうんじゃない?」など、ごにょごにょと色々言って抵抗してましたが

「そう思われても私は全然構わない。何の不都合もない」とキッパリ返答。

その直後の夏の帰省時の夕食は、なんとな~く旦那さんが主体となり2人で作りました。

 

今回は1泊といっても、義父からの文句を減らすために、30日の昼前に着き、31日の夕食後に私実家に移動するスケジュール。

1日目の昼は外食になるけれど、1日目夕食、2日目の朝食・昼食・夕食と、4食は義実家で料理することになります。

嫌だな~という気持ちでいた中での、私のために台所スポンジを新調した、という義父の発言。

愛想笑いしかできませんでした。

 

しかし、私の心配を他所に、旦那さんが頑張りました。

1日目夕食:すき焼き

旦那さんがすべて具材をカットして用意してくれました。

鍋奉行は私。

 

2日目朝食:パン・お餅

それぞれが好きなものをトースターで焼くだけ。

旦那さんは、旦那さんと義父の分としてパンを焼き、私は自分の分とぐり君の分のお餅を焼きました。

 

2日目昼食:お汁粉

義父のリクエストでお汁粉に。

買ってきたレトルトの小豆を使って旦那さんが作り、私は持参していたおかずをちょこちょこ皿に盛っただけで、簡単に終了。

 

3日目夕食:鍋

この日も、旦那さんがすべて具材をカットして用意してくれました。

旦那さんが触れないなめこ(旦那さんはキノコ全般ダメ)を義父が出してきたので、それはさすがに可哀そうになり、なめこの味噌汁は私が作りました。

鍋奉行は私。

 

ちなみに、ほぼすべて、食後の食器洗いは旦那さん。

(私は右手が酷い主婦湿疹で、水仕事や土いじりをすると一発であかぎれが悪化して皮膚が裂けてしまうため、洗い物は普段から旦那さんがしてくれています)

 

義実家を辞した後、車の中で「お疲れさま。食事の準備など全部やってくれて、ありがとう。」と旦那さんに告げると、「だって、前に、”私は絶対にやらない”っていってたから」と。

 

ちゃんと覚えていてくれたんだなぁ。

 

私実家に着いた31日の夜。

荷物の整理を終えて居間に座るなり、「やっと休める~。これからが本当の冬休み!」と、はしゃいでいた旦那さん。

しかし、遊んでほしくて待ち構えていた姪っ子につかまり、カードゲームに付き合わされていました。

お疲れさま。

 

今年もこの時期がやってきた。年末の帰省問題。

大掃除が捗りません。

仕事も忙しいし、週末は家族それぞれの習い事で忙しいし。

もう、あと気になるところをちょこちょこっとやるだけでいいか~と、ちょっと投げやりな気分になりつつあります。

 

そんな中、恒例になりつつある義実家のおとうさんからの

「年末は早く帰ってきて、掃除を手伝えや」という要件の電話。

今年も!!!!です。

 

 

 

義両親の別居問題は、義父が調停にまで話を持ち込んだけれど、義父が自ら台無しにして不調で終了。

今も義母は義妹の家にいます。

 

昨年は義母と義妹が私たちの帰省にあわせて日帰りで義実家の掃除に来てくれたけれど、昨年よりもさらに関係が拗れているので、今年は義母も義妹も掃除しに来ないと思います。

 

旦那さんは1年以上の間、2か月に一度ぐらいの割合で帰省して掃除したり、床のワックスがけをしたり、ペンキ塗りしたり、庭木の剪定をしたり…と頑張っていました。

義父母の間をなんとか取り持とうと努力していました。

なのに、10月頃に帰省した際「お前は、何もやってくれない」と義父が不満を口にしました。

「毎月は来れていないけれど、少なくとも2~3カ月ごとに帰省して、掃除をしたりしてるでしょう。おかあさんとの間に入ったりしてるでしょう」と反論すると、義父は旦那さんのこれまでの苦労を否定したのでした。

「こっちだって、仕事や家庭のことを調整して頑張ってやってきていたのに。だったら、もう知らん。もう掃除にはいかない」と、旦那さんは大激怒。

 

それからたったの2か月しかたっていない中での、大掃除を手伝えとの要請。

…手伝えといったって、旦那さんが頑張っている間、義父も掃除しているかというと、していない。単にウロウロして指図しているだけ。

 

旦那さんは「この間、もう行かないって言ったでしょ。おとうさんだって、それでいいといったでしょ。いかないよ。こっちだって、年末は仕事も忙しいんだ」と断っていました。

 

今年も、義実家への年末年始の挨拶は、1泊2日になりそうです。

が、昨年は私たちの到着前に義母と義妹が大車輪で大掃除して、それでも…の状態だったのに。

義実家に帰省するのが怖いなぁ…。

 

大掃除、スタート

先々週から大掃除スタートしました。

 

一番最初は、居間とキッチンのカーテンの洗濯。

私がお稽古に行く日曜日の朝に、なぜか旦那さんが洗ってくれました。

天気の良い日で、乾きもよくさっぱりしました。

 

 

翌週は、旦那さんが換気扇の掃除。

半年に一度やってくれているけれど、それなりに汚れています。

 

旦那さんがやってくれているなら…と、私は玄関掃除からスタート。

掃除の鉄則は「家の奥から」というけれど、私はいつも玄関からスタートです。

掃除するスペースも狭く、水汚れ油汚れがないため、すぐにキレイになるから。

玄関がキレイになると、やる気スイッチが入ります。

 

掃除は、まず椅子に乗って天井の四隅から。

次に、扉。

外廊下。

玄関の電気。

壁。

下駄箱。

廊下の電気の傘。

鏡。

廊下。

 

玄関周りがキレイになったところで、ぐり君とクリスマスの飾りつけをしました。

 

そのあと、

脱衣所の扉(形状が複雑で埃がたまりやすい!)

脱衣所と廊下の間の明り取りのガラス。

脱衣所の電気の傘

に着手。

 

換気扇が終わった旦那さんは、家じゅうの網戸と窓ガラスをキレイにしてくれました。

 

まだまだ続けたかったけれど、旦那さんから「今日はこれぐらいで」と声がかかったので夕方前に終了。おやつにみんなで焼き芋を食べました。

大掃除の合間に炭火で作った焼き芋。

ちょっと焼き過ぎてしまったけれど、美味しかったです。

 

今年はスタートが遅くなってしまいましたが、週末ごとにちょこちょこ大掃除進めます。