躾って難しいですね。
同じ内容を伝えていても、自分が心の底から怒って口にした言葉は、躾ではなくたんなる怒りの発露でしかないような気がする。
でも、自分の気持をセーブして怒ったフリで叱っても、おちゃらけた姿を見せられと気が抜けて叱る気がなくなる。本当に怒っているときにおちゃらけた姿を見せられた場合は、火に油状態ですが。
最近、「わざと」悪いことをすることが多くなりました。
怒られるとわかっているはずなんだけどなぁ。
一昨日は、夕食をほとんど口にせずウロウロしたあげくに、子どもが生まれてからしまい込んでいた箸置きを入れた箱を取り出そうとしていて、「それはダメだよ。ご飯食べなさい」と、テーブルの茶碗を指差した所、テーブルの上の茶碗をはたき落としました。
いつもなら、しゃがみこんで目を見て「悪いことをしたら“ごめんなさい”をしなさい」というのですが、ぐり君に言い聞かせても、いやいやと首を横に振られるか、えへーと笑ってごまかすか。そのごまかしを許さずに「ごめんなさいをしなさい」と言い続けると、子どもも苛つくのか噛み付いてきたりします。
で、一昨日は、「ごめんなさいは?」という気にもなれず、床に散らばったご飯の残骸を片付ける気にもなれず、はーっとため息をついて、その場を一旦離れたくてキッチンを出て洗濯物を洗濯機に放り込みに行きました。
ちょうどキッチンに戻る際に旦那さんが帰宅。
怒りモードのまま「おかえり」をいい、キッチンに戻り、戸を閉めました。
冷房付けていたからね。水の流しっぱなし、電気のつけっぱなし、冷暖房を付けているのに扉を開けっぱなし、嫌いなんです。
ところが。いつもと違うそっけない「おかえり」と、続けて入ろうとした(といってもまだ靴を脱いでいる最中だった)のに目の前でキッチンの扉をピシャリと閉められた旦那さんは、「やばい。何かやらかしたか!? 早く帰ると言って帰るのが遅かったから?」と、内心戦々恐々としたそうです。
キッチンに来た旦那さんに、ご飯の惨状を見せると「な~んだ。それで怒っていたの? 自分が何かやらかしたかと思ったよ」と安心した顔をしていました。
「一緒に謝ってあげるから、ぱっぱにごめんなさいをしよう」と旦那さんが2回ほど言い聞かせると、ぐり君も「さい」といいました。
その後、旦那さんが「手伝ってあげるから、片付けしよう」と、床に散らばったご飯をぐり君と旦那さんが一緒にお片付け。
…その一件で、「叱ると、怒りの境界線ってどこなのだろう?」と。
悪いことをしたら「ごめんんさい」が言える子になってほしい、ちゃんと自分の非を認められる子になってほしい、そう思って「悪いことをしたら“ごめんなさい”をいいなさい」と子どもに教えているけれど。
たいてい、「ごめんなさい」案件は、長い時間一緒にいるお母さんに対してで。
そうなると、その言葉を子どもに言わせようとしている時は、自分の中に怒りがある時で。
いやいやと拒否をする子どもの口からなんとか「ごめんなさい」を言わせようとしているのは、自分の怒りを鎮めるため、自分の気持が落ち着くため、そのために強要している気になってくる。
いや、でも、「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない子は、お友達にも嫌われちゃうし。生きていく上で大事な言葉だから、自分から言えるようになるまで教え続けなくてはいけないのだけど。
でも、自分が怒りながら、自分に対しての「ごめんなさい」の発言を引き出そうと子どもを責めるのは、やっぱりなんだか…モヤモヤ。
お茶碗をひっくり返されようと、お代わりと言われて注いだ牛乳を「じゃー」されようと、寛大な心を保ったまま、優しい気持ちで「悪いことをしたら“ごめんなさい”をしなさい」と諭せればいいのですけどね。
無理。
その後、旦那さんがお風呂に入れてくれた後、お風呂からあがってきたぐり君と2人でいた所「ぱっぱ、こぁぃー」と言われました。
…怖いか。基本、ぱっぱはおおらかな性格なんだよ! 怖くさせてるのはぐり君だよ!
ぱっぱなんて、優しい方だと思うよ!!!