片隅でひっそりと

~共働き家庭の 仕事・家事・育児~

子どもの言葉と、心の成長

ただいま、保育園の改修工事中です。

通常保育をしながら、一部屋ごとに改修を進めており、先日から給食室を工事しています。

そのため、現在は子どもたちは皆お弁当(保育園が外食を手配)生活。

心なしか、保育園での食事に関する話題が少なくなった気がします。

口には出しませんが、たぶん園内で作られていた今までのお昼とおやつの方が美味しいのだろうなぁと、思っています。

 

昨夜、夕食を作り始めたときに旦那さんが帰宅。

旦那さんがぐり君に、「もう工事は終わったの? 給食になったの?」と聞いたので、

「まだまだ、だよ。今はコンクリートむき出し状態」

「そうか。ぐり君、おじさんたちに挨拶した?」

「今朝、お母さんに抱っこしてもらって、工事のおじさんたち見たよね~?」

という会話を夫婦でしていたら…。

 

リビングでおもちゃで遊んでいたぐり君が

「ちやうよ。おじさんじゃなくて、しょくにんさんだよ」と、教えてくれました。

「そうか! 職人さんか!! 教えてくれてありがとう~」と、旦那さんと私で、ぐり君の頭をなでなで。

 

 

 

駅を超えた先にある公園にある遊具が面白いよ、とママ友に教えてもらいました。

ぐり君がその公園の遊具を気に入り、最近は、

私→駅前のスーパーで買い物

旦那さん・ぐり君→公園

と別々で行動することがあります。

 

公園に行く途中に、お稲荷さんがあります。

最初に通りかかった際、ぐり君が「これ、なぁに?」と旦那さん聞いたらしく、

旦那さんは「神様だよ」と答えたそうです。

(旦那さんは、仏教も神道キリスト教も、宗教すべて忌避しているので手を合わせません。私の父の仏壇にも、お線香は上げてくれますが、拝むことはしません)。

しかしぐり君は、旦那さんが教えていないのに、毎回お稲荷さんの前を通るときにちゃんと手を合わせて行くといってました。

 

 

 

「1粒のお米には、7人の神様が宿っているんだよ。だから、きちんと食べないとダメだよ」と教えました。

とはいえ子どもなので、おなか一杯になり残すのは仕方なし。

ただ、手でぐちょぐちょにしたり、食べもせずいろいろなものと混ぜてみたり、ごはんで遊んだりはダメだと日頃から注意しています。

先日、夕食を食べ終わり、洗い物をしていたところ。

ぐり君が、「これ、おこめ?」と、指先を見せてきました。

人差し指の先には、潰れたご飯が1粒。

服にでもついていたのかな?

「お米だね」と返事をすると

「かみさま、しちにんいるんだよね」といいながら、指先をパクリと咥えました。

 

 

 

朝食を食べながらニュースを見ていると、

「ころなうるすって、なぁに?」と聞かれました。

「風邪みたいなものだけれど…ひどくなると肺炎になってしまう病気だよ。肺炎になると、息が苦しくなるの。」

「ふぅーん」

「最近、お外に行けないでしょう。この病気が流行ってるせいなんだよ。早く収まるといいねぇ」

旦那さんが「しまじろうでも、コロナウィルスのお話あったよね」

「ん。しまじろう、いってた」

 


 

 

朝の登園時、ぐり君が立ち止まり、アスファルトを指さしました。

「このなか、はいかんなの?」

配管!?

「そうだよ。道路の下には配管が埋まっているんだよ」

「誰に教えてもらったの? 先生?」

「しゃしゃきしゃん」(←先生)

 

しばらく歩くと、民家の角に埋まっている赤い境界標の上に乗り

「これ、きょうかい?」

「そうだよ。ここがおうちの境界」

 

 

 

 

大根が苦手なぐり君。

(野菜スープに、千切りでくたくたに煮てあるものは食べる。また、切り干し大根も好き)

先日の保育園のお弁当に、千切りの“じゃがいも”が入ってた。

ぐり君は、それを大根だと勘違いして忌避していたけれど、一口食べて…。

「おいしい!」

と、目を丸くした。

(保育園の先生談)

帰宅後、お父さんに

「きょう、だいこんたべたんだよ!」

と、勇んで報告していました。(笑)

 

 

 

日々、いろんなことを吸収し、成長しています。