マルちゃん正麺の漫画が炎上した…という記事を見て、読んでみました。
あぁ…あれは、まさに、昨年の私!!!
マルちゃん正麺のTwitterの炎上は、帰ってきた奥さんが洗い物をしているコマに批判が出たようなのですが。
私は、「帰ってきたら洗い物がシンクにそのまま!!」と、怒る側ではなく、怒られた側でした。
そんな立場からすると、「ワンオペは大変なんだよ! 毎日・毎回完璧なんて無理なんだよ! その時の自分の疲労度合い・子どもと過ごす時間の状況次第で、出来るときもあればできないときもあるんだよ!」と、いいたい。
毎週金曜日は、旦那さんが仕事→趣味の教室に直行で、毎週ぐり君と2人の夜を過ごします。
夕方18時に保育園にお迎えに行って、
帰ってくるまでに「どーなつ(おかし)かうの」「こうえんであそぶ」のひと悶着をなんとかやり過ごし(屈することも多々)、
週末の布団の持ち帰りで膨れ上がった荷物と、もう10キロ超えになった子どもを抱っこしてヒーヒー言いながら18時半過ぎに家までたどり着き、
週末で食材の乏しくなった冷蔵庫をのぞき込んで夕食のメニューを決め、
子どもをあやしながら、危険があるキッチンに来ないよう言い聞かせながら夕食を作り、
こぼしたり遊び歩いたりするのを諫めながら一緒にご飯を食べ、
食べ終えた食器はシンクに運び(山積み状態)、
私の目が届かないその間に子どもが部屋を散らかさないようTVを見せておき、
保育園から持ち帰った汚れ物を手洗いし、
子どもと一緒にお風呂(シャワー)に入り、
自分の体を拭くのは後回しで子どもの体を拭いてパジャマを着せてあげ、
…大抵、この時点でもう20時半すぎ。できれば21時までには布団に入れたい!とブースト。
布団を敷いて、
子どもと格闘(思いっきり指を噛まれ)しながら子どもの歯磨きをし、
洗濯機のスイッチを入れ、
子どもと二人で布団に潜り込み、今日の出来事をきき、歌をうたったり、絵本を読んだり
そうして、1時間近く寝てくれなくて苦戦した挙句、22時頃にようやく眠りにつく…。
この時点で出来ていないことは
●シンクには夕食を作る際に使ったフライパンや鍋、食べ終えた後の洗い物が山積み。
●ベランダには昨夜干した洗濯物が干しっぱなし。
●洗濯機がゴンゴン動いている最中。
●部屋は、帰ってきてから遊んだオモチャが散らかりっぱなし。
これを旦那さんに「いつも遊びに行ってるんだから、それぐらいやって当然、って思っているんでしょう」と責められた時には、怒り心頭でした。
「こっちは、子どもの生活リズムを乱さないことを最優先にして、孤軍奮闘で帰宅後に大量のタスクをこなしてるんだよ! 制限時間内に終わらなかった家事を ”それぐらいやってよ“ と思うことのどこが悪いのじゃ!!!!」…言いませんでしたけど。
上記の件で喧嘩したあと、「子どもの就寝時間を守るより、家事をすべて終わらせることを優先する」に自分の方針を切り替えました。
…なので、今は金曜日に関しては、ぐり君と布団に入れるのが22時ごろ。30分ぐらいで旦那さんが帰ってきて、そこでぐり君の目が冴えてしまい…就寝時間は23時過ぎてしまうこともしばしば。
3歳の子どもの就寝時間が23時だなんて言ったら、眉を顰めれらてしまいそうですが。
金曜日の夜のことだし、1時間早く寝かせるために出来なかった家事について責められ、喧嘩になるよりはマシとの判断です。
そりゃ、すべての家事育児を終わらせ、20時半に就寝出来たら理想的だけれど。無理な目標をたててキイキイ怒りながら進行して子どもに小言いうより、1つ何かを諦めた方が平和的。
子育ても家事も、その日その時で、うまく回ることもあれば、そうはいかないときもある。
でも、メディアに出てくる情報が「完璧・お手本・こうありたい」姿ばかりだと、実際の家庭内でも「あれが常識・当たり前」と捉えられてしまいそうで怖い。
他者に完璧を求めるということは、自分も他者にその完璧さを求められることになる。
旦那さんに「完璧」を求めたら、旦那さんから自分にも。
メディアの中に描かれている姿に「完璧」を求めたら、社会の目から自分にも。
子どものぐずりがひどくて何もかもグダグダな日常なんて、山ほどあるのよ~。