片隅でひっそりと

~共働き家庭の 仕事・家事・育児~

子ども時代の「味見役」の大切さ

昨日は、水曜日だったので旦那さんが夕食を作ってくれました。

メニューを聞いたら

・チャーハン

・卵スープ

・シュウマイ(焼くだけ)

と。

私は「野菜がない…!」と身悶えし、横でサラダを作りました。

 

 

用意が終わり、食卓に食事を並べ、「いただきまーす」。

「今日の出来はどうかな~?」と、ウキウキしながらチャーハンを口に運ぶ旦那さん。

同じく、真っ先にチャーハンを口に入れる私。

 

「……。」

無言の旦那さん。自分の感じたことを、言葉にできない様子。

旦那さんの声なき声を代弁する私。

「…ちょっと、塩味たっているね。しょっぱくはないんだけど」

 

「だね! なんか塩味がたってる! レシピ通りにしたのに。おかしいなぁ」

途端に饒舌になる旦那さん。

「やっぱり、チャーハンは腕が如実に出るんだなぁ」と、ちょっとしょんぼり気味。

 

ぐり君は一口、チャーハンをほんのちょっぴり口にしただけで

「ぱん、ちょぉーだい」。

ぐ、ぐり君! そのセリフは禁句だ~!!!

更に落ち込む旦那さん。

 

昨日買ったパンを温めてからぐり君にあげ、旦那さんに「味付けは何でしたの?」と聞きました。

「塩と、醤油。そうレシピに書いてあったから。分量は多く入れてないはずなんだけど」

 

旦那さんは「しょっぱい」という点に捕らわれている。

からしたら、「塩味のみで旨味がない」なんだけど。

 

「味見はした?」

「急いでいたから、しなかった」

「そうか~。塩を少し控えて、鶏ガラのダシを入れたら良かったね」というと

旦那さん、飛び上がるようにして「それだーー!」と。

…どうやら、レシピには書いてあったのに、入れ忘れたようです。

 

 

 

今回は、単なる「入れ忘れ」ではありますが。

旦那さんの料理を見ていて思うのは、料理ってレシピどおりに作れば万人が出来ると思われがちですが、実際には味覚のセンスに出来上がりは左右されるなぁと。

 

ただレシピ通りに調味料を入れればいいかと言うと、そうではなくて。

レシピを過信せず、自分の中の「美味しい」の基準になぞらえて「味のまとまりが取れているか」を判断できるか。

「なにかひと味足りない」と思ったときに、何を入れたら美味しくなるか、調味料を足した際の味の想像が出来るか。

 

旦那さんはレシピに頼りすぎていて、味覚が磨かれていない。

「イマイチ美味しくない」となったときに、「何がいけないのか、どうすればいいか」の想像がつかない。

 

 

私は、子どものとき(今でも)しょっちゅう母の「味見役」をしていました。

「しょっぱくない?」「薄味すぎるかな?」「何かひと味足りない気がするんだけど」などなど、「味見をしすぎて分からなくなった」という母の第2の舌をやっていました。

そのたびに、子どもながら「水を足して塩以外の調味料を追加したら?」「塩はもう入れないで醤油の方がいいと思う」「少しだけソースを入れたら?」などなど、「どうしたら美味しくなるか」を想像して、母に意見を述べていました。

 

お手伝いの中で「味見役」って、一番楽ちんですよね。

ときには「味見」は「つまみ食い」と同意義で語られ、「お手伝い」として認められないことも。

しかし、旦那さんを見ていて思うのです。

子ども時代の「味見役」のお手伝いは、後々の料理のセンスにも結びつく、超大事なお手伝いであった!!と。

 

「完成された美味しいもの」を食べても味覚は磨かれるかもしれませんが、それよりも「これ(作りかけの料理)をどうしたら、もっと美味しくなるか」と考えを巡らせるほうが、もっと味覚センスが磨かれるのではないかと。

 

 

私は今まで「自分で作り自分で食べる」という期間が長すぎたため、結婚してからも「誰かに味見をしてもらう」ということをしたことがありませんでした。

しかし。

今後は、「家族に味見をしてもらう」というのを意識的にやっていこうと思います。

ぐり君をいずれ「料理上手」にするためにも!!