子どもが0歳の頃から、なるべく「理由」を添えて叱っていました。
…「叱る」という言葉はしっくりこないかな。「教える」「言い聞かせる」か妥当。
旦那さんは「まだ何を言われているかわからないよ」と言っていましたが、それこそ「子どもがいつ理解できるようになるか親はわからないよ。完全に理解できてると感じてから躾の方針を変えるのでは遅いんじゃない? いつ理解出来るようになってもいいように最初から説明を添えて教えよう」と話をし、そのように実行してきました。
子どもは、ある日突然大人が話しかける内容がわかるようになるわけではなく、最初は1割しかわからなくても、翌週には2割理解出来るようになっているかもしれない。半年後には9割理解できるようになっているかもしれない。
でも、「10割理解できるようになったら、だめな理由も教える」という方針では、子どもにしてみたら「いつも、なんで叱られている(お母さんが怖くなる)かわからない。ある日突然、叱られた(お母さんが怖くなった)後に長々となにか言われるようになった」と感じるのではないかと。
最初は言われている内容が1割しかわからなくても、徐々に何を言われいるのか理解するようになり、理解が進むと共に子どもの行動にも反映されればいいなと考えていました。
「テーブルの上に乗ると、傾いて落ちて痛い痛いになるからダメだよ」
「その道は車が通って危ないから、お母さんと手を繋がないとダメ。繋がないなら抱っこだよ」
「ムシムシを足でバンバンしちゃだめ。ムシムシが痛い痛いだよ」
今までは、「躾」として「教える」「言い聞かせる」がメインでしたが、前回記事に書いたように最近は「ダメだとわかっているのにわざとする」ことが増えました。
それに伴い、私が「躾」のために「怒る」ことが増えました。
ぐり君は、噛み付いたり、「ばーん」といいながら手で押しのけたりします。
私相手にやるということは、お友だちにもやっている可能性がある。それはきちんと躾けないといけない。
なので、「そういうことはしちゃダメ!」と、叱ったり、怒ったりしていました。
(「ばーん」なんて、いったい、そんな乱暴なことどこで覚えてきたの!?と思ったら、保育園のお友だちがやっていました…。)
ぐり君の行動を正すために「怒らないといけない」と思ってやっていたのですが。
でも、「怒る」はなんだか、しっくりこない。
前回の記事に書いたように、それは躾と言うより、私の気持ちの発露でしかないのではないかと。
記事を書いた後もぐるぐる考えていたのですが、
「躾のためには怒らないといけない」という自分の認識が、そもそも間違いだったのかな、と。
もう、日常的な内容であれは、ほぼ10割と言っていいほど理解しているので、当然なんで叱られているかも理解していると思っています。
だからこそ、「解っているのに! なんで、ダメと言ったことをやるの!」と、私の中に怒りが湧いてきてしまうのだと思います。
最近は、話が通じていることで、ぐり君をついつい一人前扱いをしてしまっていました。
しかし、大人のように話が通じるからと言っても、まだ2歳なんですよね…。
この世に生まれでて、まだたったの2年。
大人の言葉を10割がた理解できるようになって、たったの数ヶ月。
「理解できている」と「自制が出来る」はまた別物ですよね。
「牛乳を床にじゃーしちゃいけない」とはわかっていても、「じゃー」は楽しくて、その興味や誘惑にはまだ抗えないのでしょう。
ことわりやルールを教えていくのは、当然これから。
1回や2回で覚えられることではなく…いやもう30回ぐらい?「じゃーしちゃいけません。牛乳が飲めなくなってもったいないし、床のお掃除をしなくちゃいけなくなるでしょう」と教えていると思うのだけど。でも、まだまだぐり君の中には浸透していないってことなんですね。
人間は生まれた際にはまだ脳が未熟で発達途中であり、脳の発達に伴い自制心が芽生えるのが3歳~4歳と、聞いたことがあります。
あと2年ぐらいは、「じゃーしちゃいけません。牛乳が飲めなくなってもったいないし、床のお掃除をしなくちゃいけなくなるでしょう」を決り文句として唱えなくてはいけないのでしょう。
「お母さんは怒っているよ」と伝えることで「これは悪いこと」だと教えようとしていましたが、まだまだ「躾け」が始まったばかりの2才児に、「怒」で伝えようとしたことが間違いだったと気づきました。
世の中のルールは「教える」。
悪いことをしたら「諭す」「たしなめる」。
それでもダメな時は「叱る」。
「怒る」必要はどこにもありませんね。
ここ最近、ずーっといつでも発動出来るように怒りが自分の奥底にスタンバイしている感じがあったのですが、躾のためと怒らなくてもいいんだと思ったら気が楽になりました。
「まだまだ生まれて2年ぽっち」と思えば、ぽやぽやの小さな子のすることにイライラしても仕方ない、と寛大な気持ちにもなれました。
あと、「ごめんなさい」の言葉を無理やり引き出そうとするのもやめました。
自分がきちんと家庭内で「ありがとう」「ごめんなさい」を言えていれば、そのうち子どもにも自然に身につくでしょう。
「自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけない」
これは、躾のベースだと思っています。
私が小さい頃、何度も何度も母から言われました。
ぐり君の中にも、この言葉を刻みたい。
さらに欲を言えば、
「自分がされたら嬉しいことを、自分の周りの大好きな人達にもしてあげなさい」
を教えたい。
しかし、まだ今は「じゃーはしちゃいけません」「人を噛んではいけません」「どーん、と人を押してはいけません」「道路では手をつなぐこと」「靴を履いたまま部屋にあがってはいけません」「ごはんは座って食べましょう」が、当面の課題です。
先は長い!!