片隅でひっそりと

~共働き家庭の 仕事・家事・育児~

「ちょっと、子どもを見ていてね」からの喧嘩

まだ、ぐり君がヨチヨチだった0歳児のころ。

 

夕食の支度をしていた私は、旦那さんに「ちょっとぐり君を見ていてね」とお願いしました。

「うん」と生返事しつつ、ソファーに座って携帯を弄っている旦那さん。

目線は基本は携帯に落ちたまま。

 

ん、ん”っ。と思ったけれど、お願いして任せたのだからと言葉を飲み込み、ぐり君から目を離し夕食の準備にかかりました。

 

しばらくすると「あー、ダメだよー」と旦那さんの声。

振り返ると、ぐり君には触ってほしくない抽斗をあけ、中身をぶちまけていました。

 

「もう! 見ててってお願いしたじゃん!」と怒りながら、ぐり君のイタズラを静止する私。

「だから、見てたよ」と、ソファーに座ったまましれっという旦那さん。

 

ぶっちーーーん!!!

 

「片手間に目の端に写していればいいという意味じゃない。“見ていて”には、子どもを見守っていて、という意味が含まれているに決まっているでしょう!」

 

本来、丁寧に言葉を選択するなら「子どもを見守っていてね」とか「監視していて」というべきだったのかもしれない。

でも、日常会話の中の「子どもを見ていて」には、見守りも監視も含まれていると察してよ…。

 

いや、「察して」は女の人の悪い癖なのか!?

いやいや、でも当たり前の受け取り方として「子どもを見ていて=見守り・監視」だよね!?

 

 

そういや。

結婚した直後にも似たようなことが。

贈り物をしたお礼の電話か何かで、義父が旦那さんに「しいのきさんによろしく」と言付けたときのこと。

旦那さんが「よろしくと伝えてと言われたけれど、意味がわからない。よろしくって言っていたよと伝えればいいの?」と。

「それは、よろしくお伝えください、の略でしょう。」

「何を伝えればいいの?」

「喜んでいたとか、その時の状況を “旦那さんの言葉で相手によしなに伝えてくれ”、という意味だよ」

 

どうして、言葉通りに受け取るのだろう。

文脈を読め!

 

うちは「ぐり君を見ていてね」といって「本当に見ているだけ」ということは、あの後には起こっていません。

 

ついつい、自分が目を離さざるを得ない時は、「見ていて!」とお願いすることもあるかと思います。

一番最初に「子どもを見ていて」は「危険がないように見守って・何かやらかさないよう監視していて」の意味だとすり合わせ・念押しをしておかないと、「見ていろって言うから、見ていた(だけで、動かない)」という旦那さんが減らないのかも。