つらつらと書いていきます。
情報は整理できないだろうし、ただの日記にしかならないかもしれない。
あまりに個人的な内容になりすぎてしまった場合、後々エントリーを消すかもしれません。
【前々日】
夏休みに実家へ家族全員で集まったあと、父が急にがくりと体調を崩す。
入院はしたくない父は、病院での診察すら断固拒否。
母は、父の体調の悪さから、病院で診察してもらいたい。でも、自宅で介護したいと、強く希望。
妹から「お姉ちゃんはお父さんを説得する最後の手段だから」と言われていたが、母からの要請を受け、旦那さんと子どもと実家へ出向く。
母から聞いてはいたが、1ヶ月前に見た姿からのあまりの変わりように動揺。
顔半分がひどくむくみ、自分の知る父の容貌ではなくなっていた。
父と母にうろたえる姿は見せてはいけないとすぐに気持ちを立て直す。
病院嫌いの父を泣き落としで説得。この間、約30分。
病院に連れて行くために足腰の弱った父を、母と二人で支えながら門扉前に停めた車に乗せる。最後は女二人では父の体重を支えられなくてどうにもならず、子どもは自分が預かり、母と旦那さんで父を車に乗せる。ベットから車に移動するのに、約30分。
自宅介護を希望する母へ、車の中で「今の状態ではタクシーでの通院も厳しいよ。」と指摘。
歩いたら5分程度の距離にある、近所の病院へ連れて行く。
しかし、病院のロビーで、救急車が来るのを待っていた間に交わした言葉が、いつもの父らしいやり取りができた最後だった。
救急車で搬送された先の病院で、詳しく検査をしてもらい、先生から父の状態をきく。
2ヶ月で退院は無理、3〜4ヶ月はかかるといわれる。この時点では、車椅子に座っている間に思考がクリアになった先ほどの父の様子から、治らなくても小康状態にはなり、自宅に帰れると思っていた。
先生の説明と母が語る経緯から推測するに、根源は糖尿病で、顕著化した原因は腰痛により一時畑仕事や運動を控えていたため。
病室に入り酸素吸入をしている父に、「邪魔でもマスクを取ってはダメだよ」と言い聞かせて帰宅。
その際、また返答が少しぼんやりしていた父。
気になりながらも、夕方遅くに実家に帰宅。
父の長兄や、遠くに住む弟一家へ、現状を伝えることを渋る母。知らせるべきだと言聞かせて、母に今後のことをお願いして夜に東京の自宅へ帰る。